2019年12月01日

高田博厚


子供のころから月に一回、講談社の分厚い美術全集を
父が持ち帰ってくれていた。

その中で高田博厚先生の作品写真は繰り返し眺めていた。
『ロマン・ロラン夫人像』『ラ・カテドラル』

ヘルマン・ヘッセの訳でも知られる片山敏彦と親友だったことも知り、
高田先生の著作は私の美術の教科書となった。

パリに滞在した時も、先生の指示通り
サント・シャペル、クリュニュー、モネの睡蓮から見て廻った。

先生の文章はどれも深いが、
ヘッセとロランの友情についての美しい文がある


奥様が電話番号を教えてくださり、
鎌倉のアトリエを訪れるように言ってくださったことがある。

若かった私は臆して伺えなかった。
それでいて江ノ電の極楽寺駅を降り、西田幾多郎の家の脇を通り

坂の上の玄関に置かれた、
ロンダニーニのピエタを見つめていたことがある。


現在、豊科近代美術館をはじめ、
高田先生の作品に触れる場所があることを幸せに思う。

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2019年12月10日

三雲祥之助


美大に入ると三雲祥之助先生のアトリエに身を置くことになった。
知的で優雅な雰囲気をまとった先生に憧れた。

三雲先生はパリで絵を始められた。
美術の本質を知ってから、手の仕事につかれた。

帰国後、チェニーノ・チェニーニ『絵画要綱』の訳を
美術雑誌「アトリエ」に連載する。

昭和10・11年のことだから、私は知る由もなかった
中村彝も『芸術の書』として訳していて、画家の必読書ともいえる技法書だ。

二人の画家は正道を歩んだ。


三雲先生はパリの後、地中海のマヨルカ島に滞在し制作を行った。
半世紀後、運命に導かれて私もその島に住み絵を描いた。

三雲祥之助先生の『原初に帰る』姿勢が、
エミシ文化に魅かれている今の私にもあることを願っている。


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2019年12月19日

美大の友人


お世話になっている東京・京橋の画廊
ギャルリー・コパンダールの乾誠一郎さんから、

「誰か良い作家さんを知りませんか」と聞かれたとき、
鬼澤和義君の名前を挙げた。

美術教師になり団体にも属して、
構造のある街の絵を描いていたのを知っていた。

画廊から連絡を取ったがなかなか返事は来なかった。
半年後、亡くなったのを知った。


「美術の窓」の出版で知られる「生活の友社」を立ち上げた一井健二君が
池袋東武百貨店での個展に来てくれた。

「やっぱり、詩人の絵だな」と言った。
ギャルリー・コパンダールにも来てくれた。

「浦上玉堂みたいだ」
「いずれゆっくり会おう」

そう言っているうちに訃報に接した。

僕は君の絵を見たかった。

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2019年12月24日



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立原道造 ヒヤシンスハウス

posted by gomi at 10:48| スケッチ