2020年07月02日

初個展


Jan Gossaert の再現を試みた後、
ようやく「自分の仕事」に、向かい始めた。

10年の修業期間中、模写展は皆で何回か催したが、
個展は伊豆高原の“ミモ座”で
一度やらせて頂いただけだった。


“ミモ座”は、工業技術試験所でセラミックIC基板を提唱し、
京セラで開発の重責を担った
杉浦正敏さんの個人展示館だった。

技術者だった杉浦さんは、勉強に時間を費やしている私に
理解を示してくださった。

急逝されることになるのだが、
私の初個展を喜んで、地元のテレビなどを呼んで
宣伝をしてくださり、

一番大きな絵をお買い上げくださった。


天にお願いした修業期間は過ぎて行き、
絵画技術習得方法は、少しずつ体系化していった。

数年後、勉強に区切りをつけ、
『絵画ノート』として纏めることになる。


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2020年07月13日

絵画ノート


『絵画ノート』は、
「いつか来る自分自身のために」と結んだ。

個人は普通の意味でのそれぞれではないと思う。
もっと大きなものの一部なのだと思う。

私が抱え込んだ課題は必ず誰かの課題にもなると思った。

このノートを作っている間も、
大きなものの存在に触れていることができた。


今、浅間山麓に住んで草木や鳥や虫たちに囲まれて暮らしている。

熊の爪痕がそこかしこにあって、
家の前をきつねがゆっくり歩いて行ったりする。

個を超えていく入口が広がっている。


ともかくも『絵画ノート』を仕上げ、
年季が明けた気分だった。

いよいよ本格的に制作に打ち込みたい。
朝から晩まで絵を描いていたい。

もう一度地中海の光を描くところから始めたかった。

どうせ貧乏をするならと、
マヨルカ島に向かった。


posted by gomi at 11:57|

2020年07月21日

松本竣介


清澄な精神ゆえに
透明な絵具層の絵を描いた日本人画家がいる。

松本竣介(1912-1948)

宮沢賢治を愛し、
永遠へとつながる油彩作品を残した。


戦争の時代で、外国にも行かない短い生涯だったのに、
樹脂やニスについて勉強したことが窺える。

堅牢な画肌は、
一片が残っただけでも美しさが伝わるだろう。


15歳の頃、落合から中井にかけての段丘が好きで
夢見るように歩き回った。

中村彝が、金山平三が、松本竣介が、
あの辺りに住んでいたことを知らなかった。


松本竣介の絶筆となった「建物」は、
私たち皆が帰っていく教会堂のようだ。


posted by gomi at 11:58|

2020年07月29日

Mallorca


Mallorca に着くとすぐに、現代で最も成功した一人
と言われるスペイン人画家に出遇った。

色層を重ねていく技法ではなかったが、
直接描法と細密描写の使い分けが巧みだった。


島での制作で最初に取り掛かったのは、
コンポジションの見直しだった。

空間の大きな水平線を眺め、
構成に収斂の動きを持たすことにした。

絵が変わったことを指摘したバスク人の絵描きがいて、
彼が気づいたことに驚いた。


暫くして、アーモンド農場の納屋に落ち着いた。

広大な土地の一軒家で、
夕空の人工衛星がはっきりと見える。

望んだとおり、朝から晩まで絵を描いた。


posted by gomi at 11:23|