Jan Gossaert の再現を試みた後、
ようやく「自分の仕事」に、向かい始めた。
10年の修業期間中、模写展は皆で何回か催したが、
個展は伊豆高原の“ミモ座”で
一度やらせて頂いただけだった。
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“ミモ座”は、工業技術試験所でセラミックIC基板を提唱し、
京セラで開発の重責を担った
杉浦正敏さんの個人展示館だった。
技術者だった杉浦さんは、勉強に時間を費やしている私に
理解を示してくださった。
急逝されることになるのだが、
私の初個展を喜んで、地元のテレビなどを呼んで
宣伝をしてくださり、
一番大きな絵をお買い上げくださった。
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天にお願いした修業期間は過ぎて行き、
絵画技術習得方法は、少しずつ体系化していった。
数年後、勉強に区切りをつけ、
『絵画ノート』として纏めることになる。