2021年01月07日

キリエ・エレイソン


昨年末から100号の制作を始めている。

スケッチから小下絵を起こし、
地塗りをしてコンポジションを転写した。

木々に囲まれた仕事場での制作が続く。


ずっと世間というものを恐れてきた。
集団生活になじめないことは子供のころからわかっていた。

絵を始めてからも、
世を離れて静かに制作することを望んできた。

そのおかげか稀有な魂との出会いがあった。

ベルギーの森の傍らに移り住んでからも、
魅力的な人々に巡り合った。

世間に知られることよりも、
孤独な魂との邂逅こそ望ましいと思っている。


世の中は怖いものだという気持ちは、
常にあり続けた。

しかしその世の中で、生きていかざるを得ない。

内側に開かれた生活を求めながらも、
人の世の残酷さに加担している自分がいる。

我を憐れみ給え、
キリエ・エレイソン 

絵を描くことは祈ることだと知った。


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2021年01月13日

柚子

柚子・小.jpg

posted by gomi at 14:04| スケッチ

2021年01月21日

鰯の味醂干


鰯の味醂干・小.jpg
鮨大内

posted by gomi at 13:53| スケッチ

2021年01月26日

淡雪


淡雪・小.jpg


posted by gomi at 10:27| スケッチ

2021年01月31日

労働許可を得て


「フランドル文化を日本人に伝えてほしい」
という言葉と共に、画家として
ベルギーでの正式な労働許可が下りた。

王立美術館での技法説明会を繰り返し行い、
生活情報誌に『森とカテドラル』という文を書き始めた。

副題を  −der RHEIN と la SEINE の間で− として、
隔月で連載を書かせていただくことになった。


マヨルカ島との行き来の必要がなくなり、

最後に島で描いたスケッチを本画にしたときに、
画面に大きな変化が訪れた。

色の重なりが重層化し、
滲みが光を包み込むようになった。


1997年春、パリのプティ・パレで
フランク人についての大きな博覧会があった。

考古学的研究成果により、
初期フランク族の姿が明らかになってきていた。

ベルギー各地の博物館を訪れ、
フランク人の美術品に惚れ込んでいたところだった。

フランドル文化の祖型は、
フランク王国メロヴィング期にあると知った。


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