「フランドル文化を日本人に伝えてほしい」
という言葉と共に、画家として
ベルギーでの正式な労働許可が下りた。
王立美術館での技法説明会を繰り返し行い、
生活情報誌に『森とカテドラル』という文を書き始めた。
副題を −der RHEIN と la SEINE の間で− として、
隔月で連載を書かせていただくことになった。
*
マヨルカ島との行き来の必要がなくなり、
最後に島で描いたスケッチを本画にしたときに、
画面に大きな変化が訪れた。
色の重なりが重層化し、
滲みが光を包み込むようになった。
*
1997年春、パリのプティ・パレで
フランク人についての大きな博覧会があった。
考古学的研究成果により、
初期フランク族の姿が明らかになってきていた。
ベルギー各地の博物館を訪れ、
フランク人の美術品に惚れ込んでいたところだった。
フランドル文化の祖型は、
フランク王国メロヴィング期にあると知った。