今夏、千曲川を描きたくて中山道の塩名田宿に行った。
終戦後、ここで片山敏彦が数年間暮らしていた。
浅間山と蓼科山が望める場所で、
浅科とも呼ばれている。
片山は塩名田にいたとき、信濃追分の堀辰雄らと
雑誌『高原」を発刊する。
資質の違いは有るものの、精神の清澄さを持つこの二人が、
共に在ったことが奇跡のようだ。
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「高原」第6号に遠藤周作が『堀辰雄論』を寄せている。
『風立ちぬ』について、
「此の全篇を神秘的雰圍氣が支へてゐる」と書く。
この一文を読んだ時、夢中になって堀辰雄を読んだ感覚がよみがえった。
あの神秘的な香りは中学生の私にとって衝撃だった。
汎神論とキリスト教が重なって見える風景。
片山敏彦からも感じられる。
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「高原」は10号をもって終わる。
堀の病気と片山の帰京が続いたゆえだという。
第9号のロマン・ロラン特輯号にはパリから
高田博厚も寄稿している。
その号の表紙は、画家でもある片山敏彦の絵だった。