“僕はただ、自分の中から自然に生まれてくるものを
生きてみようとしたに過ぎない。
それがどうして、こんなにも困難だったのか”
16歳の誕生日に読んだ、
ヘルマン・ヘッセの『デミアン』だった。
個から普遍へと向かう
大いなる道すじが示されていた。
美術・音楽・文学・演劇 の世界が一気に押し寄せてきた。
ヘッセの作品を制作順に読み進み『ガラス玉演戯』に至るころ、
手仕事の習得に憧れるようになった。
絵を描くことを仕事にしたくなった。
芸術家になろうとは思わなかったし、
なれるとも思わなかった。
ほどなくして、ヘッセの再評価がスペイン語圏から沸き起こる。
*
ヘッセの父は内村鑑三の『代表的日本人』をドイツ語に訳し、
子供の頃のヘッセは新島襄に会っている。
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