“ 森は一つの世界でありその生活は私の生活 ”
『森』
エミイル ヹルハアラン 高村光太郎訳
エミール・ヴェルハーレンは、フラマン(フランドル)を詠う。
高村光太郎は彼の直情性を
「フラマン土着人のケルメッス的性情」と呼んだ。
ケルメッスとは Kermesse(仏) で、村の大祭。
ブリューゲルやリューベンスの絵にも描かれる。
エミール・ヴェルハーレンの愛の詩集は、
智恵子夫人に読み聞かせるために訳されたという。
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片山敏彦もまた
ヴェルハーレンを師と仰ぎ
生の歓喜と明るさを「汎神論的恍惚」と称した。
『フランドルの詩人の姿に』
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Kermesse(仏)は オランダ語で Kermis
語源は kerk 「教会」mis 「ミサ」ということのようだが、
ブリューゲルの『農民の踊り』やリューベンスの『ケルメス』では
盛大な酒宴に見える。
ケルトやゲルマンの熱情なのだろうか。
「汎神論的恍惚」は、
日本の祭りにもある。