2020年08月15日

violinist


Mallorca には、音楽家も多くいた。

「今なら artist も労働許可証を持てる」と教えてくれたのは、
若いアメリカ人の pianist だった。

Pollença の修道院跡では、毎年クラシックの音楽祭が開かれている。
ディレクターの Eugen Prokop と知り合った。

チェコスロバキア出身の violinist で、
家に行くと、Tokyo String Quartet が訪れた時の写真があった。


小学生の頃 violin を習っていた。
先生は絵も描いた優しいお爺さんだった。

自分の出す音が嫌でやめてしまい、
中学生になって piano も習ったが、指を痛めて途絶えてしまった。

その後、カザルスや
シュヴァイツァーが弾くバッハが好きになった。


Eugen Prokop は、自身の2枚の LP レコードをくださった。

1枚は東京の教会で録音したバッハとハイドン。
もう1枚はチェコスロバキアの作曲家のものだった。

深く 柔らかく 繊細な violin の音色で、
モーツァルトと近しかった作曲家の協奏曲も優雅だった。

東京でのレコーディング場所は、
先回日本を離れる直前に描いた、杉並の教会だった。


posted by gomi at 15:13|

2020年07月21日

松本竣介


清澄な精神ゆえに
透明な絵具層の絵を描いた日本人画家がいる。

松本竣介(1912-1948)

宮沢賢治を愛し、
永遠へとつながる油彩作品を残した。


戦争の時代で、外国にも行かない短い生涯だったのに、
樹脂やニスについて勉強したことが窺える。

堅牢な画肌は、
一片が残っただけでも美しさが伝わるだろう。


15歳の頃、落合から中井にかけての段丘が好きで
夢見るように歩き回った。

中村彝が、金山平三が、松本竣介が、
あの辺りに住んでいたことを知らなかった。


松本竣介の絶筆となった「建物」は、
私たち皆が帰っていく教会堂のようだ。


posted by gomi at 11:58|

2020年07月02日

初個展


Jan Gossaert の再現を試みた後、
ようやく「自分の仕事」に、向かい始めた。

10年の修業期間中、模写展は皆で何回か催したが、
個展は伊豆高原の“ミモ座”で
一度やらせて頂いただけだった。


“ミモ座”は、工業技術試験所でセラミックIC基板を提唱し、
京セラで開発の重責を担った
杉浦正敏さんの個人展示館だった。

技術者だった杉浦さんは、勉強に時間を費やしている私に
理解を示してくださった。

急逝されることになるのだが、
私の初個展を喜んで、地元のテレビなどを呼んで
宣伝をしてくださり、

一番大きな絵をお買い上げくださった。


天にお願いした修業期間は過ぎて行き、
絵画技術習得方法は、少しずつ体系化していった。

数年後、勉強に区切りをつけ、
『絵画ノート』として纏めることになる。


posted by gomi at 09:53|