2020年01月30日

金森 馨

決心してヨーロッパに行くことにした。

舞台美術家の金森馨さんに「向こうで見る油絵は違いますよ」
と言っていただいたことがずっと心に残っていた。

油絵の具が自分に合わない気がして、
金森さんのスタッフ募集に応募したことがある。

「本当は何がやりたいんですか?」と訊かれて、
「絵をやりたいのだけれど、油絵の具になじめない気がして」と答えた。


実際にプラド美術館で数世紀に渡る「油絵」を見た時、
技法的なことを何も知らないことに驚いた。

「知っている」絵はたくさんある。
しかし『物質としての美しさ』は初めて知った。

日本でも主要な展覧会は観てきたつもりだったが、
人の肩越しやガラス越しがほとんどだった。

「何を描くか」が先行していて「いかに描くか」の大切さには至らなかった。

「透明で美しい油絵を描きたい」と強く思った。


見当違いに飛び込んできた若者に、
金森馨さんは親切にも道を指し示してくださった。

才気あふれる人を前にした高揚感の中で、
代々木八幡の木々が輝いて見えたのを覚えている。


posted by gomi at 06:46|

2019年12月19日

美大の友人


お世話になっている東京・京橋の画廊
ギャルリー・コパンダールの乾誠一郎さんから、

「誰か良い作家さんを知りませんか」と聞かれたとき、
鬼澤和義君の名前を挙げた。

美術教師になり団体にも属して、
構造のある街の絵を描いていたのを知っていた。

画廊から連絡を取ったがなかなか返事は来なかった。
半年後、亡くなったのを知った。


「美術の窓」の出版で知られる「生活の友社」を立ち上げた一井健二君が
池袋東武百貨店での個展に来てくれた。

「やっぱり、詩人の絵だな」と言った。
ギャルリー・コパンダールにも来てくれた。

「浦上玉堂みたいだ」
「いずれゆっくり会おう」

そう言っているうちに訃報に接した。

僕は君の絵を見たかった。

posted by gomi at 12:06|

2019年12月10日

三雲祥之助


美大に入ると三雲祥之助先生のアトリエに身を置くことになった。
知的で優雅な雰囲気をまとった先生に憧れた。

三雲先生はパリで絵を始められた。
美術の本質を知ってから、手の仕事につかれた。

帰国後、チェニーノ・チェニーニ『絵画要綱』の訳を
美術雑誌「アトリエ」に連載する。

昭和10・11年のことだから、私は知る由もなかった
中村彝も『芸術の書』として訳していて、画家の必読書ともいえる技法書だ。

二人の画家は正道を歩んだ。


三雲先生はパリの後、地中海のマヨルカ島に滞在し制作を行った。
半世紀後、運命に導かれて私もその島に住み絵を描いた。

三雲祥之助先生の『原初に帰る』姿勢が、
エミシ文化に魅かれている今の私にもあることを願っている。


posted by gomi at 07:38|