2020年01月30日

金森 馨

決心してヨーロッパに行くことにした。

舞台美術家の金森馨さんに「向こうで見る油絵は違いますよ」
と言っていただいたことがずっと心に残っていた。

油絵の具が自分に合わない気がして、
金森さんのスタッフ募集に応募したことがある。

「本当は何がやりたいんですか?」と訊かれて、
「絵をやりたいのだけれど、油絵の具になじめない気がして」と答えた。


実際にプラド美術館で数世紀に渡る「油絵」を見た時、
技法的なことを何も知らないことに驚いた。

「知っている」絵はたくさんある。
しかし『物質としての美しさ』は初めて知った。

日本でも主要な展覧会は観てきたつもりだったが、
人の肩越しやガラス越しがほとんどだった。

「何を描くか」が先行していて「いかに描くか」の大切さには至らなかった。

「透明で美しい油絵を描きたい」と強く思った。


見当違いに飛び込んできた若者に、
金森馨さんは親切にも道を指し示してくださった。

才気あふれる人を前にした高揚感の中で、
代々木八幡の木々が輝いて見えたのを覚えている。


posted by gomi at 06:46|

2020年06月23日

現代日本の画家


日本に帰ると東洋画の構造に関心を持った。

墨絵・日本画・漆絵 の
塗り重ねがどうなっているのかを調べると、

時代をさかのぼるにしたがって、
東洋画と西洋画には共通項が多くなることを知った。


あらためて現代日本の画家、
棟方志功・奥村土牛・小林勇 の仕事を仰ぎ見た。

棟方志功は自宅が作品展示場だったころ、
玄関に高田博厚先生の小品を見い出したことがある。

奥村土牛は構造の強さとともに、絵具の重ねに憬れを抱いた。
色の重ねで、空間の中での位置まで表現している。


冬青 小林勇 の絵が手元にある。

三越美術部で長く仕事をされた、
嶌田二三夫さんから頂いたものだ。

小林勇の書画は、若いころから大好きだった。

「人は年ごとに、年とってよくならなくてはならない」
『夕焼』という美しい文章がある。

高田先生は小林勇を信頼し、作品も交換したという。


posted by gomi at 13:13|

2020年07月02日

初個展


Jan Gossaert の再現を試みた後、
ようやく「自分の仕事」に、向かい始めた。

10年の修業期間中、模写展は皆で何回か催したが、
個展は伊豆高原の“ミモ座”で
一度やらせて頂いただけだった。


“ミモ座”は、工業技術試験所でセラミックIC基板を提唱し、
京セラで開発の重責を担った
杉浦正敏さんの個人展示館だった。

技術者だった杉浦さんは、勉強に時間を費やしている私に
理解を示してくださった。

急逝されることになるのだが、
私の初個展を喜んで、地元のテレビなどを呼んで
宣伝をしてくださり、

一番大きな絵をお買い上げくださった。


天にお願いした修業期間は過ぎて行き、
絵画技術習得方法は、少しずつ体系化していった。

数年後、勉強に区切りをつけ、
『絵画ノート』として纏めることになる。


posted by gomi at 09:53|

2020年07月21日

松本竣介


清澄な精神ゆえに
透明な絵具層の絵を描いた日本人画家がいる。

松本竣介(1912-1948)

宮沢賢治を愛し、
永遠へとつながる油彩作品を残した。


戦争の時代で、外国にも行かない短い生涯だったのに、
樹脂やニスについて勉強したことが窺える。

堅牢な画肌は、
一片が残っただけでも美しさが伝わるだろう。


15歳の頃、落合から中井にかけての段丘が好きで
夢見るように歩き回った。

中村彝が、金山平三が、松本竣介が、
あの辺りに住んでいたことを知らなかった。


松本竣介の絶筆となった「建物」は、
私たち皆が帰っていく教会堂のようだ。


posted by gomi at 11:58|

2020年08月15日

violinist


Mallorca には、音楽家も多くいた。

「今なら artist も労働許可証を持てる」と教えてくれたのは、
若いアメリカ人の pianist だった。

Pollença の修道院跡では、毎年クラシックの音楽祭が開かれている。
ディレクターの Eugen Prokop と知り合った。

チェコスロバキア出身の violinist で、
家に行くと、Tokyo String Quartet が訪れた時の写真があった。


小学生の頃 violin を習っていた。
先生は絵も描いた優しいお爺さんだった。

自分の出す音が嫌でやめてしまい、
中学生になって piano も習ったが、指を痛めて途絶えてしまった。

その後、カザルスや
シュヴァイツァーが弾くバッハが好きになった。


Eugen Prokop は、自身の2枚の LP レコードをくださった。

1枚は東京の教会で録音したバッハとハイドン。
もう1枚はチェコスロバキアの作曲家のものだった。

深く 柔らかく 繊細な violin の音色で、
モーツァルトと近しかった作曲家の協奏曲も優雅だった。

東京でのレコーディング場所は、
先回日本を離れる直前に描いた、杉並の教会だった。


posted by gomi at 15:13|