2021年05月01日

高校生の頃


公立の高校だったので、特別な教育理念はなかった。

美術を大切にしたかったので選択は音楽にした。

高校生の政治運動が盛んな頃だったが、
関心はすでに内側に向かっていた。

調べたいことが次々と出てくるので、毎日のように図書館に通った。
美術館も主に常設展を観に行った。

新宿の安い映画館にも通い、芝居も観た。

音楽は中野に「クラシック」というレコード喫茶があり、
入り口でリクエストを書いた。


数学の大江先生がある日、階段の踊り場で
自分が何故クリスチャンになったかを話してくださった。

「五味君だったら分かってくれると思った」と、
人として向き合ってくださった。


新聞部で一学年下だった井手君が
個展に来てくれるようになり、彼のもとに収まった絵もある。

魂の親密さは、時空を超えて変わらない。


posted by gomi at 09:44|

2021年08月28日

エミール・ヴェルハーレン


“ 森は一つの世界でありその生活は私の生活 ”
『森』
エミイル ヹルハアラン 高村光太郎訳

エミール・ヴェルハーレンは、フラマン(フランドル)を詠う。

高村光太郎は彼の直情性を
「フラマン土着人のケルメッス的性情」と呼んだ。

ケルメッスとは Kermesse(仏) で、村の大祭。
ブリューゲルやリューベンスの絵にも描かれる。

エミール・ヴェルハーレンの愛の詩集は、
智恵子夫人に読み聞かせるために訳されたという。


片山敏彦もまた
ヴェルハーレンを師と仰ぎ

生の歓喜と明るさを「汎神論的恍惚」と称した。
『フランドルの詩人の姿に』


Kermesse(仏)は オランダ語で Kermis
語源は kerk 「教会」mis 「ミサ」ということのようだが、

ブリューゲルの『農民の踊り』やリューベンスの『ケルメス』では
盛大な酒宴に見える。
ケルトやゲルマンの熱情なのだろうか。

「汎神論的恍惚」は、
日本の祭りにもある。


posted by gomi at 10:16|

2022年02月04日

時に入る人


絵の前に佇んだ人がいる。
絵は彼岸と此岸をつなぐのかもしれない。

多くの大切な人々が彼岸に旅立った。永遠の時の中に入っていった。
彼らのまなざしの先に、絵が在ったことがある。


自然の中で絵を描いていると、自分が解体していくのがわかる。
自分も小さなエネルギーの集合体であり、絵もまたごく小さな渦巻だ。

「吾々には、自分の感覚に映じない要素が尚ほ澤山にある、
吾々は自分の知ってゐるより以上の大きなものを包含してゐる」

マーテルリンクは言う。『死後は如何』

原題『La Mort』の同じ箇所の訳には

「無意識の部分、つまり宇宙の一部を構成している部分は、広大で
意識の領域をはるかに凌いでいる」

というのもある。『死後の存続』


宮沢賢治の妹、トシの『自省録』に
「私は自分に力づけてくれたメーテルリンクの智慧を信ずる」
という文がある。

賢治とマーテルリンクの『宇宙意識』

絵は今も時の中に入った人々と重なり続けている。
風景の中で。星とともに。


posted by gomi at 15:01|

2022年04月08日

瞑想


軽井沢高原文庫通信第55号に
詩人タゴールの『瞑想に就きて』の文が載っている。

「かくのごとく瞑想は、吾が意識と無極の世界とが
一なることを表わすものである」

「その渾一融合の点は偉大なる創造力にある、
そは吾れにあっては意識となり
また吾れを囲める世界に充満せるものである」


大正5年にタゴールは訪日し、日本女子大学校及び、
軽井沢での修養会で講演を行った。
『瞑想に就きて』はその講演録だという。

軽井沢町碓氷峠に高田博厚先生作のタゴール像が
「人類不戦」の文字と共にある。

その頃の日本女子大学には宮沢賢治の妹トシが在籍しており
タゴールの思想を兄に伝えたようだ。

宇宙との一体感は、賢治と共通するように思える。


タゴールは絵も描いた。
詩人の絵で、確かに宮沢賢治に通じている。


posted by gomi at 09:57|