2020年01月09日

収斂

テイヤール・ド・シャルダンを教えてくれたのは、
生物学者 国井喜章先生だった。

オメガ点への収斂。
人間は究極の英知に向かう。

「収斂」という言葉に魅かれた。
少しずつ焦点を結んでいく。形になっていく。

ひとつに向かっていくなら、univers 「宇宙・普遍」となる。
真・善・美 の一致点へ。


収斂は手の修練でもある。
推敲でもあり、技術の錬磨でもある。

作意を超える時が来て、
個を超える時が来る。

我執を離れ、ゆだねていく時が来る。

宮沢賢治
『正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識して
これに応じて行くことである』

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2020年01月19日

手仕事


手仕事に魅かれて店舗装飾のアルバイトに就いた。
大工仕事、壁紙貼り、塗装 の基本を教わった。

それらが後になって、昔の絵画技法を追いかけ
下地から絵を作っていく工程で、
どれほど役に立ったかわからない。

塗料の濃さに従った刷毛の扱いや、紙への糊引きや貼り込み
仕事の段取りや工夫。

失敗だらけだったのも良い経験だった。
言葉でも頭でもない、実践としての「手」仕事の世界。


卒業後、小さな内装会社の設立にも加わったが、
数年で辞めてスペインに旅立った。

その頃の一人は、後に弦楽器の弓の制作者になり、
フランス職人の勲章をもらったという。


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2020年02月22日

手と思想


初期油彩画に見出した光は、
パリで観た ステンドグラスや印象派の絵にも在った。


Cennino Cennini が書いた技法書の仏語訳に
ルノワールが文を寄せている。

『絵は指物や金工と同様の手工業であり、
それは同じ法則に支配されている』
『最も巧妙なる手は、ただ思想に仕えることによってのみえられる』

中村 彝 訳


画家よ
先づ語るべき思想を持て

先づその思想に秩序を与へよ
表現手法の困難は 常に思想の曖昧を原因とする

明瞭なる感情と心象とは
常に適切なる色調と線條とをもて 画家の手を導くものだ

中村 彝
『藝術の無限感』



posted by gomi at 09:08|

2020年03月08日

手で築く


Valencia に移ってすぐに加熱油を作り、
麻布を貼って、地塗りもした。

Xavier de Langrais の原書や Daniel V.Thompson,jr. のテンペラ技法書を読み、、
Max Doerner の混合技法はスペイン語版で勉強を始めた。

しかしすぐに
『処方が解れば絵が描ける』わけではないことを知る。


材料や道具の吟味と共に
処方が生まれる背景に興味がわく。

美術巡礼で廻った先々で美術館の修復レポートも手に入れた。
画面の分析結果はとても興味深いが、

技法は一つの体系なので、分析とは別の方向性を持つ。
手仕事の再構築こそが求めていることだった。


技術書や修復レポートは それからも増え続けたが、
いつのまにか「合ってるか間違ってるか」の発想は持たなくなっていた。

研究者になりたいわけではなかった。


posted by gomi at 14:37|

2020年05月12日

デッサン


絵具の塗り重ねで、
深い色味と表現が可能になった。

絵具の置き方は、デッサン技法に重なることにも注目した。


銀筆・黒チョーク・白チョーク・赤チョーク
有色下地の上のデッサン。

これらは本画制作の描法に直結する。

細密な描写が可能な銀筆(銀線)による表現は、
柔毛細筆による線の集積(ハッチング)による描法。

黒チョークによるデッサンは、剛毛筆によるタッチを活かした描法に、

グレイ地の上の黒と白によるデッサンは、
半調子を塗った上に明暗を作る描法に、

黒・白・赤 3色を使うデッサンは、
黒で寒色、赤で暖色、白でハイライトを表現することにより、
暖色と寒色を使い分ける描法につながる。

併せて、デッサンの線の方向は筆の方向でもある。


そして描法を超えて最も重要なこと。

表面描写ではない形 (フォルム)
『構造の強さ』を追い求める。

昔の徒弟のように布を描くことから始めて、
Valencia の美術家たちが催す人体デッサン会に通った。



posted by gomi at 09:53|