2021年12月14日

画材のこと


個展とは不思議なもので、
並んだ絵が自分自身を教えてくれる。

画材と手順について確認している自分がいる。

この50年で画材は大きく変わった。

天然の原材料が手に入りにくくなったことで、
製品の形になったものも変化した。


大切なイタリアの紙が製造中止になった。
和紙も知り合いの職人が漉くのをやめるという。

日本で小さな筆のメーカーで良いところを知った。
しかしドイツの筆でしか表せない表現もある。

膠も良いものが手に入りにくくなった。
鹿膠の復活を試みているところが日本にある。

油も北海道産の食用油で良いものもある。


どんなジャンルにも本物を志向する人がいる。
そういった人々が関わった品々が

絵として一堂に会する。
その場に立ち会うことができるのが幸せだ。


posted by gomi at 15:29|

2022年01月07日

絵が選ぶ


正月3日夜の『100分deパンデミック論』を興味深く視た。

「見えているつもりで見ていない」という話が出たが、
絵を描いていれば、これは日常的に思い知らされることだ。

単に写すだけでは本質から遠ざかる一方だ。
「見えないものに託す」つもりで描いていく。


同じ3日に、美しい額縁が届いた。
注文したもので職人の手が入っている。

この額と共に世界を作り上げたいと思った。

絵は描きたいものを描きたいように描くことが全てで
その時点では採算を度外視している。

額縁や画材の選択を含めてのことだ。

しかし、販売となれば当然絵も商品として扱われる。

それでも美術に理解のある販売者と組めば心安らかな部分もあるが、
理解のない場所からは立ち去らざるを得ない。


力を出し合って良いものを作り、歓びを共有したい。
そして絵の行きたいところに収まるようにしたい。


posted by gomi at 11:26|

2022年09月16日

処方の可能性


小さな栗の実が落ちるようになり、
知らないキノコが次々と生えてくる。

先日、一枚の絵が私から離れて行った。
ニス引きは残っているものの、もう私の方を向いていてはくれない。


今年春、二枚ほど離れて行かない絵があった。
混乱の中
仮引きニスも引いてみたが、やはりそこに留まり続けている。

工程を増やしたことがいけなかったのかもしれない。
工程数を元に戻して、処方の用法を変えてみることにした。


工程内の仕事の性質が変わった。

わずかな変化のはずが、
ジェットコースターに乗ったように揺さぶられ続けた。


やがて「やりたかったこと」と「やれること」が重なる時が訪れた。
そして静かに私から離れて行った。

この処方にこんな可能性があるとは思わなかった。
これから
もっと自由になれるかもしれない。


posted by gomi at 12:48|